新たなる挑戦
仲西眼鏡店四代目、仲西正義です。
福岡で眼鏡文化を築き上げた仲西眼鏡店4代の歴史は、激変してきた眼鏡文化の創造と挑戦の90年です。
初代は京都で貴金属を使った眼鏡製造技術を習得し、福岡で金を使った眼鏡修理の店を始めます。名うての修理職人だった彼ですが、その地位に甘んずることなく修理工から店舗への転身を図ります。眼鏡1本が1ヶ月分の給料ぐらいだった当時、この挑戦はかなりリスキーなものだったようです。
そして二代目が活躍する頃には、眼鏡は実用品として以上に、装飾品としての価値を高めていきます。
眼鏡の装飾品的価値は、バブル期、デザイナーズコレクションとして開花。三代目は店舗をセレクトショップ化し、眼鏡ファッション情報発信基地としての地位を確立します。
私はその頃、海外でバイヤーとして活動。先端の眼鏡ファッションを買い付ける役割を担っていました。
しかし私が店を継ぐ頃の眼鏡業界は、3プライス店を筆頭に、低価格化の波が押し寄せていました。仲西眼鏡は再度の転身を図ります。それが現在のスタイル、店内製造販売です。
実は祖父である二代目は、なぜか息子ではなく孫の私に、かつての眼鏡製造技術を伝授し、その道具類を託していました。祖父の真意は今となっては分かりませんが、奇しくもそのお陰で、今の仲西眼鏡があるのです。
私の新たなる挑戦は「日本型眼鏡技術店舗の復活」です。お客さま一人ひとりに合わせ、一品逸品丁寧に製造調整。修理調整しながら、永きにわたって愛用いただく。
日本がほぼ失ってしまった貴金属文化の復興を、この工房から。
私の強い信念でありビジョンなのです。
COREVALUE
最後の眼鏡職人
私の最も大切な価値はほぼ失われた日本における眼鏡職人技術の数少ない継承者である事です。
VISION
眼鏡職人文化の復興
かつての日本で栄えた眼鏡職人文化の復活で一人ひとりの個性と健康のために、細やかに設計調整された眼鏡本来の在り方を復活させます。
MISSION
眼鏡技術店舗の普及
眼鏡に関わる販売店の全てが、顧客一人ひとりのために眼鏡を設計・製造・販売することでその存在価値を高め、健康社会の実現に貢献する事を目指します。
PROFILE
千葉生まれ、博多育ち。
生まれて物心つく前から眼鏡が身近にある生活。
精密ドライバーを使い両親が仕事に出ると目覚まし時計を分解し、帰宅までに組み立てるという幼少を過ごす。
学生時代、経営経済学部を経て眼鏡技術を学ぶべく日本眼鏡専門学校へ。
卒業後、東京女子医科大学のインターンを経て、サングラスのバイヤーとしてサンディエゴへ渡米。海外のファッショントレンド、L.A.ファッションを肌で感じロサンゼルスで会社を設立。ワーキングビザ取得の為帰国するも家業である眼鏡店舗の拡大に伴い帰国。
アメリカでの経験と海外の名だたるファッションブランドのデザイナーとのネットワークを活かし会社を支え、現在はオーナーとしてだけでなく日本独立眼鏡職人協会の理事を務め全国の眼鏡店へ技術継承指導を行う。
経歴
1994年 | 日本眼鏡専門学校卒業 |
1994年 | 東京女子医科大学でインターンを経験 |
1995年 | サンディエゴへ渡米 |
1997年 | ロサンゼルスで会社設立 |
1998年 | 家業の事業拡大に伴い帰国 |
1999年 | 数々の美容室やサロンとコラボレーション |
2000年 | オリジナルコレクションを手掛ける |
2006年 | 10数型にも及ぶ自社コレクションを展開 |
2011年 | 東京在住の眼鏡伝統職人に師事し技術継承を請う |
2013年 | 梅田阪急催事出店(もののふ) |
2014年 | 梅田阪急催事出店(日本ものあわせ展) |
2016年4月 | 福岡三越催事出店(JAPAN SENSES) |
2016年11月 | Nakanishi1928 海外向けブランド会社を設立 |
2017年8月 | Esquire Taiwan 特集 |
2017年9月 | GQ Chinaとのコラボレーション、紙面での特集、GQ China App Storeでの販売実績 |
2017年10月 | ロンドンブーツ田村淳のワンオフ品を多数依頼 |
2017年11月 | 雑誌Nobless China や ELLE Deco で取り上げられる |
2017年12月 | GQ Taiwan monthly awardで起用 |
2018年 | 1月 U.S. People magazine で紹介 |
2018年 | 田村淳氏よりatsushimegane の監修を請け負う |
2019年 | アパレル、芸能人、モデル、著名人のコレクションを多数製造 |
2020年4月 | 天神コア閉館に伴い 本店を路面店にOPEN |