Episode 1
三代に渡る挑戦
初代の転身
初代仲西武夫は1896年、奈良に生まれます。12歳の頃、京都の眼鏡職人に教えを乞い眼鏡造りを学び始めます。眼鏡製造技術は当時から非常に高度で、その修業は10年にも及びます。
その後、彼は福岡に引っ越し6人の家族を支えるため、自宅の一室で眼鏡修理工の仕事を始めます。当時の眼鏡は、給料1ヶ月分ほどの高価な物で、宝石や時計と共に高級貴金属として売られていました。当然今のように買い換えることは少なく、修理や調整をしながら大切に使用され、彼は近隣の貴金属店から持ち込まれる眼鏡の修理の下請け工として生計を立てていたようです。実は満州にて一旗揚げようと考えていた武夫ですが、福岡の居心地の良さもあり、当時繁盛していた貴金属店ビジネスを画策し始めます。高価な貴金属を扱うリスクから、周囲は反対の声が多かったようですが、野心家であった彼は眼鏡店を中島町に開業。貴重な純金を肌身離さず持ち歩き、ひっそりとスタートした店ですが、彼の技術は評判で、瞬く間に人気店となっていったようです。
昭和10〜12(1935〜1937)年頃の中島町MAP
二代の技術
1923年、仲西家に生まれた二代目隆男は、幼い頃から父武夫に厳しい教えを請うようになります。
そして20代の頃、家業を正式に継ぐことを決意、その後さらに15年間、初代のアシスタントとして腕を磨き続けることとなります。
1950年、仲西眼鏡店は天神コアの前身、「西鉄街」に店を構えるまで成長。
隆男は、自店お客さまは当然のことながら、他店の修理も担当、その腕をさらに磨き続けます。
その評判は非常に高く、当時、福岡市内のほとんどの貴金属店が、仲西眼鏡店に修理を依頼していたと伝えられるほどです。
そして1987年、福岡県より技能功労賞を受賞。その技術は頂点に達します。
根っからの職人気質だった隆男ですが、家庭では面倒見の良い家長だったようで、息子であり三代目の隆義は当然のことながら、孫である四代目正義もずいぶんかわいがったようで、特に正義には、幼い頃から工具の使い方を教えるなど、技術継承に努め、今日の技術店舗事業の礎を創った、功労者でもあります。
三代の変革
1950年生まれの三代目仲西隆義は、幼い頃から仲西眼鏡店が出店する、福岡の中心街西鉄街で遊び、育ったこともあり、職人だった初代や二代目とは違う視点で眼鏡ビジネスに向き合っていくこととなります。
1968年、彼は父親の元を離れ、当時全国的に有名だった東京の眼鏡店に就職します。
程なく彼は店長として店舗の商品からオペーレーションまで大きく関与、先端の眼鏡業界で実績を積んでいきます。
そして仲西眼鏡店に転機が訪れます。1976年、西鉄商店街は「天神コア」として再開発され、仲西眼鏡店もそのキーテナントとなります。
当時の天神コアは、「新宿、原宿のセンスを福岡に直輸入する」をキャッチフレーズに掲げ、最先端のファッショントレンドを発信。
仲西眼鏡店に戻った三代目隆義は、自身の先端眼鏡ビジネススキルとセンスを活かしファッションアイウエアのセレクトショップとしてラインナップを一気に拡充。
先端ブランドを取りそろえ、福岡眼鏡界のトレンドセッターとして名を上げていくのです。
Episode 2
四代目の数奇な運命
バイヤー仲西
そして現在の後継者、四代目仲西正義は1973年父の赴任地、千葉県椿森に生まれます。
幼い頃からものづくりが大好きだった少年は、店番で店頭に立つと必ずヤスリで金属を削り平らに仕上げるのが楽しみでした。
学校でも技術系が得意だった彼は、高校卒業の頃、エンジニアを目指すべきか、眼鏡店を継ぐ道を選ぶか悩みますが、やはり眼鏡への思いは強く、より専門的な知識と技術を習得するべく、日本眼鏡技術専門学校への道を選択します。当時、全国の眼鏡店から集まった若き仲間達の興味は、既に全国的な情報発信基地となっていた仲西眼鏡店が実現していたセレクトショップ化。正義は持ち前の技術力で製造課程トップクラスをキープしながら、眼鏡ビジネスの未来について、仲間と意見をぶつけ合いながら、成長していきます。
そして卒業後、彼は父である三代目隆義の依頼でバイヤーとしてロス、サンディエゴへ。ネットワークも広げ、トレンドをつかみ、日本における眼鏡ファッションの先端を提案し続けたのです。
継承された技術
2000年初頭ぐらいから眼鏡業界に変化が見られ始めます。きっかけは下北沢にオープンした3プライスショップです。大量生産による安価なフレームと、同じく安価なレンズを組み合わせ、わかりやすい3つの統一価格で展開したその事業形態は、既に先行していた低価格眼鏡店とも一線を画し、ファストファッションの台頭と共に、大きなトレンドとなっていきます。
地域に密着し、お客さま一人ひとりに向き合ってきた昔ながらの眼鏡店や、ファッション発信力を高めブランドセレクトで生き残ってきた眼鏡店ですが、チェーンストア展開するこれらの新興勢力に押され、衰退の一途を辿っていきます。
そんな最中、四代目正義は、昔祖父である二代目隆男が幼い頃から伝授してくれた職人技術のことを思い出します。二代目はなぜか、その技術を三代目に継承せず、自分に継承した。そして彼の愛用した工具も正義は受け継いでいた。眼鏡専門学校でも大いに学んだ技術者への道。彼は技術型店舗への回帰を模索し始めます。
職人界への弟子入り
2008年、リーマンショック。市場は冷え切りファッションの低価格化はまずまず加速。時代の趨勢を誇ったブランド群も、昔ながらの店舗も、もはや生きる術はないという風潮の中、正義はひとり、二代目隆男から託された工具類をメンテナンスし眼鏡の製造を試み始める。
いざ製造を始めて見ると技術的な障壁は多く、なかなか彼の理想とするものづくりのレベルに到達しない。彼は父であり三代目の隆義に、かつての眼鏡技術を持った職人を紹介してもらい弟子入りすることを決意。まさか職人の道を息子が歩むとは思わなかった父だったが、彼の熱意と、店の状況を鑑みて、既にほとんど現存しない、江戸時代からの眼鏡づくり技術を継承する鈴木師匠を紹介することにした。その道の厳しさをよく知る父は、ほぼ不可能な挑戦あることを予測しながらの紹介だった。最初は頑なに弟子入りを拒否された正義だったが、足繁く氏の元を尋ねるうち、彼の熱意も伝わったのか、「センスがなければすぐ追い返す」と、職人ならではの条件下の弟子入りだった。
Episode 3
最後の眼鏡職人
最後の眼鏡職人
眼鏡の製造工程は約280。同時期、彼は情報を求め、眼鏡の一大産地「鯖江」にも4-5年通ったが、眼鏡1本を7-10社で分業するのがスタンダード。全行程を会社単位で完結できる企業でも2社ほどしかない。ましてや一人で全工程を手がける職人は既に現存しないのが実情。鈴木師匠と兄弟弟子、そして修行中の自分。現存する生粋の眼鏡職人は、どうやら我々3人だけのようだ。その事実が、彼をさらに駆り立て、苦しい修行を乗り越える使命に繋がっていった。
正義は祖父隆男から教わった技術と、鈴木師匠直伝の技術を慎重に反復し、江戸時代からの眼鏡製造技術を蘇らせようと必死だった。それはもはや自身の経営する眼鏡店を救うためというよりは、弱体化した眼鏡産業を変えて行きたい!その一心だった。そしてその困難な修行が終わりを迎えようとしていた時、鈴木師匠は正義に突然引退を告げた。「後は頼む」鈴木師匠は自分が愛用する工具を全て正義に渡し引退した。そして正義は「最後の眼鏡職人」となった。
技術店舗への回帰
正義は直ぐさま、仲西眼鏡店の改革に乗り出した。メイン商材だった海外ブランド品は価格競争に飲まれ、全くといって良いほど利益が出ていなかった。また比較的低価格ゾーンの商品も、3プライスショップを筆頭とする新興勢力に押され、その客足は遠のいていた。一途の望みは、それでも視力に合わせ、掛け心地の良い眼鏡を求める仲西眼鏡生粋のファンと、正義が発信する最新スタイルを支持し、愛用する芸能人、業界人を中心としたネットワークだった。
彼は先ず、店内に眼鏡工房を併設。ほぼ全ての商品を手作りの自社生産にする計画を立てる。比較的買いやすいベーシックラインから、眼鏡ファンをうならせる高品質なクオリティーラインまで全て店内生産。その品質感やかけ心地は、顧客層に着実に支持されていくと同時に、自社生産の強みも出て、収益性も高まっていった。正に技術店舗への回帰を成し遂げた瞬間だった。そして2018年、初代から現代までの仲西眼鏡店技術者をオマージュしたコレクションを発表、原点回帰を声高らかに宣言する。
日本眼鏡技術の復活
「技術店舗への回帰」を武器に、自店の経営革新を推し進める中、正義には次なる目標が見え始める。それは「日本眼鏡技術の復活」である。今、全国の眼鏡店は窮地に立たされている。その一店々が技術店舗となれば、チェーンストアとの差別化を図れるし、良い物を長く使い続けたい、コアな眼鏡ファンの思いにも応えられる。江戸時代から続く伝統的な職人技術を絶やすことなく、継承するためにも、仲西眼鏡店だけではなく、1店でも多くの眼鏡店を技術店舗に回帰させる必要がある。2019年、正義は「一般社団法人 日本独立眼鏡職人協会」を立ち上げる。
VISION
眼鏡職人文化の復興
眼鏡技術店舗コンサルタントとして
かつての日本では、眼鏡は貴金属品として大切に造られ、大切に使われ続けた。
視力を支える眼鏡は、重要な医療分野製品であると共に、顔の印象を決める非常に重要なファッションアイテムです。
初代そして二代から引き継がれた職人技術と技術店舗スタイル、そして三代とともに歩んだトレンドセッターとしての自覚を融合させ、新らたな眼鏡トレンドと職人文化を復興させる。
そしてメイドインジャパン眼鏡の確固たる地位を確立する。
これが仲西眼鏡店のビジョンであり、使命なのです。